ハンセン病ドキュメンタリー映画

NAGASHIMA

~“かくり”の証言~

宮﨑 賢 監督作品

推薦・感想




<推薦>
ジャーナリスト・曽根 英二
(菊池寛賞受賞)

“いまでも背中に平仮名で
「かくり」と貼られているよう”
“ 長島しか知りません”
“ 療養所なのに監房が”
“ 獄死も”

岡山県瀬戸内市の長島には、長島愛生園と邑久光明園の二つの国立ハンセン病療養所がある。
両園の入所者は185人、平均年齢は88歳。隔離の島で証言を聴く時間も残り少なくなった。

無名のハンセン病の元患者たちが封印してきた『強制隔離』の体験を初めて語った。
木の入園番号札を見せながら。
“家族に迷惑が掛かるから”と誰にも話さなかった元患者たち。

40年間、通い続けた宮﨑賢監督にだからこそ語った人間の叫び。
“もう時間がありません、なにがあったか、知っていて欲しい!”と。

断種手術、堕胎児の保存、解剖、草津の重監房送り、無らい県運動、6畳間に二組夫婦の生活。
村八分の葬儀、故郷への墓参、などなど。

温かな目線のドキュメンタリーカメラマンとして知られ、ハンセン病隔離報道の第一人者の宮﨑監督自らがインタビュー、構成、撮影、編集。
その問いかけは私たちをざわつかさずには置かない。

瀬戸内海に浮かぶ岡山県の長島愛生園には納骨堂がある。小さな骨壺に眠る3700柱の思い。
偏見、差別のなかで人生のほとんどを隔絶の島に暮らし生涯を閉じた人たち。

2020年で、日本最初の国立ハンセン病療養所・長島愛生園が置かれてから90年になった。
赤裸々な元患者たちの証言もやがて聞けなくなる日が来る。

曽根 英二
ジャーナリスト。1974年、RSK山陽放送入社。1990年の産業廃棄物不法投棄問題に始まる香川県豊島の報道で、菊池寛賞を受賞(1997年)。




<推薦>
作家・伊波 敏男

あなたが通い続けた、一つの島の二つのハンセン病療養所、長島愛生園と邑久光明園、そこに隔離され、人生を奪われた人たちの怒りや悲しみに耳を傾け、寄り添い、信頼を勝ち得た中で、この映画は生まれた。

映像記録は歴史証言となり残り、後世に伝えられる。

この映画は宮崎賢さん、あなたしか成し遂げられない偉業です。

国が人を捨て、国民や社会が、この人たちの存在に目と耳を塞いだ終着が教える証言です。

このドキュメンタリー映画から、同じ過ちを繰り返さないために、私たちは何を学ぶのか。

新型コロナウイルスの世界的パンデミック、ロシアによるウクライナ国民の虐殺が引き起こされている今だからこそ、この映画が示す未来への鍵が見つかることでしょう。

伊波 敏男
作家。1943年、沖縄県生まれ。14歳のときハンセン病療養所に入所し、その後全快。1969年、社会福祉法人東京コロニーに就職。代表作に、自らの半生記「花に逢はん」(1997年、沖縄タイムス出版文化賞受賞)や、「ハンセン病を生きて」(2007年)など。




感想

Aさん(元大学教授)

国の間違った施策と、『無らい県運動』に加担し、ハンセン病への差別や偏見を増幅させてしまった市民(私たち)の罪。映画は重く悲しい歴史を描きながら、島の美しい自然やそこに生息する鳥や動物(狸・鹿)も描かれ気持ちが和みます。
ご存命中親しく交わらせていただいた方々のお姿も編集されていて、懐かしさに胸がいっぱいになりました。
後半では故郷に里帰りして小学生たちと交流される川北さんご夫婦のうれし涙や、大学生・高校生たちの訪問を喜ばれる入所者さんのエアー握手に私も思わずもらい泣き。エンドロールで沢知恵さんの歌が流れて、さらに涙腺が決壊。
素晴らしい作品に仕上がっていました。これからこの映画が国内・国外に広がりたくさんの人に観ていただけますよう。


Bさん(兵庫県)

長島愛生園の入所者を中心に、療養所入所者の証言で国のハンセン病患者にたいする『絶対隔離絶滅政策』を告発。人権がないがしろにされていた実態とともに、人権を守る闘いに立ち上がった入所者の姿や、夏祭りなど地域住民との交流も生き生きと描かれています。
新たに発見された資料もあり、貴重な記録映画です。
特に印象に残ったのが、隔離政策を主導、不妊手術を導入した光田健輔医師に対する批判と『戦争はしてはならない』というメッセージです。


Cさん(元アナウンサー)

“かくり”の証言を拝見しました。感動して涙が溢れました。
長年築いてこられた信頼関係があってこそのインタビューだと思いました。そして宮崎さんのご経験やご人徳の賜物だと思います。
かくりの証言から様々なことを学ばせていただきました。


Dさん(岡山県)

いい映画でした。後半で泣きました。観る人の心に届く作品です。
何より、これだけの入所者の証言を残せたのは貴重です。ありがとうございました。


Eさん(フリーアナウンサー、東京都)

すばらしい作品を見せていただきましたこと心より感謝いたします。元患者の証言ひとつひとつが胸に迫りました。ことに「隔離」「差別」という言葉への思いに、コロナ禍の今この作品が世に出ることの意義を感じました。
また高校の部活に「ヒューマンライツ部」があるということに大きな希望を感じました。ぜひ若い人たちに見てもらいたい。私の番組でも取り上げていただきます。
取材と制作の労に感服いたします。


Fさん(元放送局ディレクター)

後世に伝える映画だと思った。完成度が高い。映画に引き込まれ、作品が長く感じなかった。


Gさん(会社員)

高校生がハンセン病問題を学習し未来に伝える活動をしていることに感動した。作品は長く感じなかった。いい映画でした。


Hさん(ハンセン病ボランティア)

いい映画で感動しました。特にラストシーンは素晴らしかったです。
この作品を全国の人に観てもらいたいと思った。ご苦労様でした。


Iさん(岡山県、20-30歳代)

映画を見て入所されていた方の声で当時の様子をきいて何とも言えない気持ちになりました。
病気だからという理由で「家族ともう会えないかもしれない」「地元に受け入れてもらえないかもしれない」というのは人としての権利とは何かと考えさせられました。


Jさん(岡山県、40-50歳代)

解決されないままに、長い長い年月が過ぎてしまっていることに、改めて怒りを感じました。
知らなければそのままになってしまうことを心に刻み、これからも学んでいきたいと思いました。ありがとうございました。


Kさん(岡山県、40-50歳代)

今までもハンセン病について長島の事を自分なりに学んできましたが、今日このフィルムに出会えてよかったです。まだまだ知らないことがたくさんありました。
高齢化が進み、生の声を聞くことも難しくなっています。この記録はとてもすばらしいです。決して忘れてはいけない歴史だと思います。ありがとうございました。


Lさん(岡山県、60-70歳代)

映画に感動しました。宮崎さんの思いがとても心に響きました。
この映画を多くの方にみてもらいたいです。今日はありがとうございました。


Mさん(岡山県、40-50歳代)

人として大切なことを再び考えさせられるいい映画でした。
教師として子供たちに、人として大切な事を伝えて行きたいです。



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